From BE to FENNICA. BEからフェニカへ その1

BE  (Beams Elements)  1997年から2007年まで、ビームスの1レーベルとして渋谷、大阪、福岡にあったお店

IMG_1412 IMG_1583

`雑誌掲載、メディア露出、一切お断り`というとても硬派なレーベル(写真左、なんとか昔の雑誌を探しまくって見つけた広告、ビームス特集号だったので掲載があったのかと思われます)写真右は`将軍`ことBEバイヤー&ディレクター(呑むとヤバい。洋服屋兼アマチュア格闘家)

2002年、東京目黒区にオフィスを構えた頃、足繁く通っていたのが渋谷のBE。1階、地下1階と坂道の途中にある店舗、商品数は少ないけど全てがこだわりの品々、コアなアウトドア物とドメスティックブランドのミックス感、アメリカやヨーロッパのインポートやデザイナー物、文面だけだと統一感のない品揃えですが、実際一つの箱にまとまると不思議とつながりが見えてくる、まさに好きな物、欲しい物をギュッと凝縮させたような、そんなお店でした。今でいう`東京スタイル`のはしりでした。当時、もし今みたいにFACEBOOKやTWITTERなどSNSが盛んであれば、間違いなくお客さんの口コミだけで雑誌やメディアに出なくても広がっていった、そんなコアな品揃えでしたね。

1993年、10代後半、単身渡米、大学生をしながらフリーのバイヤーみたいな、ビートになりきれないヒッピー崩れのような(笑)、時代がよかったのか、501XXとAIR MAXに頼りながら(笑)コツコツ資金をため卒業後、会社を起こしたのはよかったのですが今度はビザの問題に直面、このままだと出入国は難しくなる、アメリカ国内で生活するのは問題ないですが`USA`というでっかい刑務所に入れられてる感じがしたのでとりあえず母国に本拠地をかまえる事に、地元神戸とLAを行ったり来たりしながら2年間準備をして、2002年1月、東京オフィスを構える事に。

よく聞かれるのですが`元○○`というのがないんです。。(就職した事がないのです。。)東京にオフィスを構えたのはよかったのですがコネクションがほとんどなし。。。学生時代、先輩の仕事を手伝いにいったサンタフェで知り合った元UnitedArrowsのAさん(現BEATTITUDE主宰)やIさん(現COEN代表取締役)、ソルトレイクで知り合った大先輩かつさん、UAメンズカジュアル(当時BLUE LABEL)西海岸アテンドの仕事で知り合った方々をたよりになんとか東京にオフィスを構えたのはよかったのですが、肝心の`商品`の方向性がまだ未熟で`アメリカンインポート`として、今も日本の代理店として扱ってる`シティライツブックストア`の商品を中心にラインアップを作ってた頃、初めてメキシコ、オアハカを訪れ衝撃を受けた頃でした。商品がよければ取引先も広がる`まずは商品ありき`営業はほとんどせず(いま思うとプライベートなつながりがうまく営業につながってたのだなと。。酒の席は大事ですね(笑))商品を充実させる事のみ、一生懸命やっていこうと決意しました。

かつさんの紹介で将軍と呑む機会があり、商品を見て頂けることになり、Jutta NewmanのサンダルやOAXACA刺繍Tシャツなど、BEで取り扱って頂ける事になりました。(その後、将軍とはシュートボクシングや格闘技を通じて仲良くなり、オアハカにも行き、サンフランシスコのモーテル駐車場でミットうちをするまでに至ります。)

徐々に商品の方向性も出てきて、ラインアップもうちでしか買えない、独自のインポート、カリフォルニアとオアハカ、だんだん会社としての`色`が出始めた2007年、残念ながら唯一ビームスとの取引レーベルであったBEがなくなってしまい、将軍はBEAMSメンズカジュアルのバイヤーに就任されます。ちょうどその頃、オアハカラグのベスト、プロトタイプが完成し、2008年10月の展示会で初披露となりました。

2009年12月、家族で沖縄に訪れます。DSC_0368 DSC_0371

はい、こちらです。`読谷村 陶器市`以前から将軍に話は聞いてて、ビームス フェニカで見た事もあったのですが、当時そんなに陶器に興味はなかったのですが、何となく気になってて、まずは12月の陶器市にいってみようと、2歳の息子と妻の3人で訪れました。ちょうど沖縄行きの1週間前、妻に2人目の妊娠が発覚!喜びと不安(つわりがひどく、飛行機とか食事とか、大丈夫かな??)の中、出発しました。 初めての沖縄旅行、まず初日は美ら海水族館に行き、2、3日目は陶器市へ。やちむんに関する前知識がほとんどないままいったのですが、将軍や他のビームスメンバーも一緒でいろいろ教えてもらいながら、北窯で普段使いの陶器をたくさん購入、窯元直売で値段もそんなに高くなかったし、何より作ってる現地でたくさんの量を見れた、やちむん初心者にはとても良い経験でした。

そして最終日、夜は将軍に誘われビームス フェニカ主宰の宴会`糸満屋`へ。ここで将軍にエリスさんと北村さんを紹介して頂くのですが、まぁ、大勢いる酒の席、いろいろ細かい話をするのは無粋、軽く挨拶をさせて頂く程度でした、が、個人的にはいろいろお話がしたかった(笑)しかし、初めて会う人、やはり身分と場所をわきまえないと。ここで思ったのですがビームスという会社の凄いところ、40人ぐらいいたメンバーのほとんどはビームスか元ビームス、皆さんプライベートで沖縄を訪れ、会社の同僚達と行動してる、確かにこの仕事、好きでやってる人たちがほとんどなので仕事とプライベートの境界があいまい、そんななかでビームスの団結力は凄いなと思いました。

2010年4月、展示会にてオアハカラグベスト、将軍率いるBEAMSメンズカジュアルチームにオーダー頂きます。同年10月の納品予定、さあ!ようやく糸のストックもでき、天然染色の材料も揃い、これから市場に!!というとき、オアハカに大洪水が起こります。死者もでたほど深刻な被害、このときの様子は日本でもニュースになってました。ティオティトラン村は直接な被害はなかったのですがほぼ3ヶ月ほど、毎日のように雨が降り続き、天日干しが重要な糸の染色ができない、、ベストの生産が出来ない、、、結局、オーダー頂いた分は全てキャンセルになる始末、、、天災なのでしょうがないのですが、納期がある以上、どうすることもできない、やりばのない気持ちでいっぱいでした。

そして2010年10月、将軍にお願いしてフェニカ北村さんとエリスさんを紹介して頂く事に。大きな会社でいろんなブランドやラインアップがあればBEAMSメンズカジュアルやフェニカ、ビームスの中でも商材を分けていろんなレーベルと取引する事も可能ですがうちはあくまでカリフォルニアの商材とオアハカの商材のみ、そんな器用な事はできません。BEAMSメンズカジュアルで取引して頂けたのですが、初オーダーがキャンセルになり、イメージが悪くなってたのと、自分個人的にうちのオアハカ商材はフェニカにあうんじゃないか?!一度、エリスさんと北村さんに見てもらいたい!そんな熱い思いを将軍にぶつけたところ、確かにオアハカの商材がBEAMS内で一番しっくりくるのはフェニカだと、北村さんに言っておくと、つながりが出来たのであります。

`敏腕バイヤーは断り上手`と聞きます。経験豊富なバイヤーほど断るのがうまい、世の中、そんなに良いものがたくさんある訳ではない、仮に良いと思ってもどこか強豪他社がすでに取り扱ってたりすれば、わざわざ仕入れる必要性がない。現在、世界レベルで見ても日本のファッションレベルはトップクラス、そんな業界の頂点にある企業、ビームス&ユナイテッドアローズ、毎日のように営業がやってくる、しかしその9割以上はすでに市場で消化されてるもの、わざわざ仕入れる必要性がないが邪見に扱いコネクションが狭くなると情報や商品が集まりにくくなる、`断り上手`である事が大切なんだと聞きます。

北村さんに見て頂く際、自信はありましたが、不安もありました。もし、ダメならオアハカラグの行き場がなくなると。。。(トップがダメならそれ以下はないと思ってます)

そして、2010年10月、初めてうちの展示会にお越し頂きます。そこでオアハカのラグやベスト、手刺繍の物をみて、気に入って頂きます!ここで初めて自信が確信になりました!そして後日、エリスさんもお越し頂き、いろいろ見て、気に入って頂きます!

2011年5月、オアハカラグ初の`オーダー会`が原宿フェニカで開催されます。IMG_0557

オアハカラグが日本のマーケットで初となるオーダー会、ちょうど東日本大震災の後、、オアハカラグが日本のお客様に受け入れて頂く事が出来るのかどうかの転機になったイベントです。 続きはその2で。。。