2013年ぐらいから、力を入れてリサーチしてるのがオアハカラグ黎明期、初期のデザイン
中でも象徴的なのがこの太陽紋と星紋デザイン。1970年、利根山光人著書
`メキシコの民芸`この本で見てからずっと気になってた太陽と星、実際、現地で見て回ったところ、どこにもなく、バスケスさんをはじめ、当時を知る人たちに聞いて回ったところ、1960年代頃によく作られてたデザインで今はほとんど作られてない、時代に合わせて技術やデザインもどんどん進化して、より細かく繊細なものが好まれる、との事。
確かに、ビンテージのラグを集めるようになって、60〜70年代頃のラグに共通して言えるのは、センターに大きくモチーフがある`絵`のようなラグが多い。
オアハカラグをはじめ、メキシコのラグや織物の転換期となったのが1948年、パンアメリカンハイウェイの開通により、外部からの人たちが訪れるようになり、素晴らしいデザインの織物が世の中に広まっていく。それ以前、スペイン人がメキシコを占領し、中南米植民地化していった時代、もともと織物の文化があった土地にペダル式織機と家畜としての羊、羊毛を伝えた事により、手先の器用な人たちに道具と素材が伝わり、じわじわ進化、20世紀に初頭には交易品として、衣類(ポンチョのような衣服)として、織られるようになる、同じデザインのものを2枚つくり、ブックマッチのように2枚合わせ、真ん中から頭を通し、腰で縛る、なのでセンターに柄を持ってきて、首回りのデザインにしたのではないかと。
20世紀初頭、メキシコ各地で織物が織られ、1950年代〜70年代にはアメリカを中心とした海外からの観光客に人気、特に有名なのが`サラッペ`と呼ばれるブランケットぐらいの厚みのラグ、サルティージョという産地が有名、メキシコらしい、カラフルなストライプが特徴。
近代化の波で衣類として織物が用いられることがなくなり、メキシコ各地で織られてた織物も今ではサルティージョの一部とオアハカのみ、幸い、オアハカはバスケスさんをはじめとする志の高い織り手がいたのと、熱心なコレクター達のサポートがあったので、現在でも素晴らしいラグが織られてる。
50〜70年代頃、実際にビンテージラグや当時の資料を手に入れ、現在の技術で当時のデザインを作る、シンプルでモダンなデザインが多く、知れば知るほどのめり込んでいきます。
日本の民芸作家さん達が集めたのもこの時代のオアハカラグ、日本の国旗や家紋を彷彿させるデザインが多く、とても興味深い。
80年代、多くのデザインが持ち込まれ、数を作り、輸出用に安い染料や糸を使ったオアハカラグが大量に作られるようになりますが、幸い、現地の人たちに約500年前に伝わったペダル式織機があったのと、手先の器用さで機械式になるのではなく、あくまでその織り機を使い、生産。現在も一部の志の高い織り手を除き、大半はそういう工房ばかりですが、 今でもバスケスファミリーをはじめ、少数ですが素晴らしい工房もあるのがオアハカラグのいいところ。
そして私の仕事としては、当時のラグや資料をたくさん集め、デザインを研究し、今の技術でクオリティの高いラグを、一流の織り手に作ってもらい、日本のクラフト好きに紹介すること。そういう意味でもアメリカのコレクターや当時メキシコ各地で買い集めた人とコンタクト、インターネットがあるのでコミュニケーションはしやすいですね。
一部資料を紹介します。1963年の貴重な資料です。
NYにあった伝説のメキシカンレストラン`LaFonda del sol`にもラグが。そしてバシッと太陽紋ラグ、出てますね〜〜。今のデザインも素敵ですが、50〜60年代のデザインもいいです。オリジナルのビンテージラグ、敷くより掛けるほうが、絵のように使うのがかっこいい!
あと、どうしてもこのGRECAデザイン、ネイティブアメリカン`HOPI`のデザインに通じる何かを感じるのです。もともとホピはナバホや他のネイティブアメリカンと違い、どこからかやってきて、どこかにいってしまった人たち。洞窟に書かれてる壁画とか、オアハカのネイティブと通じるんですよね。もうここまできたら考古学の世界、HOPIのジュエリーとオアハカのラグ、共通項を見つけ、提案できれば面白いな。