やっと、やっと来れた!ジョージア オキーフ アビキューの家!!
ジョージア オキーフについて、アメリカンモダニズムに興味を持ち始めた20代前半に知る。この業界に居るなら必ず通る道、アメリカンモダニズムの母と言われてる存在。
彼女がニューヨークからなぜニューメキシコに移住したのか?1917年に初めて訪れて以来、なんども通い、心を奪われ、最終的にアーティストとしての創作活動の場に選んだゴーストランチやアビキュー、62歳で移住を決める彼女のバイタリティーに少しでも触れることができた。決して幸せな人生ではなかったが、なぜニューメキシコを選んだのか、その真髄を少しでも知りたかった。
サンタフェ行きを決めた瞬間、ホテルや航空券より、まずここにコンタクト。アビキューHOME Tourを申し込んでた。行くなら絶対`夏の平日の午前中`と決めてた。なぜなら、人気があるツアーでも平日は比較的空いてるし、夏が良かったのはその気候から、気温の高さと日差しと乾燥具合。そして午前中と決めてたのは`自然光`の美しさ。太陽光は真上からの光より、やや斜めからの、午前中の光が優しく美しい。その自然光でみるオキーフの家は、おそらく、彼女自身、夏の午前中に創作活動をしてたんだろうな、そう思わせる。どうせ行くなら、ベストな季節、時間帯に行きたい、シーズンは大切。単純に夏の午後は暑くて、、ゆっくり見れない。夏休みの勉強は午前中が勝負。
ツアーガイドの説明もわかりやすい。主に彼女の絵について、どこで書かれたか?何がモチーフか?一緒にツアーに参加した他のお客さんからもいろんな質問が飛び交う。そして、我々は彼女のアトリエ奥にあるクローゼット(残念ながら撮影禁止)に釘付け。。日本の着物をリメイクした服があり、それについて質問`彼女自身、Wrap Dressが好きで、日本に行った際、着物を購入し、持ち帰り、彼女自身の手でリメイク。Wrap Dressに仕立てて、ウエストマークのベルトでよく着こなしてた`との返答。へ〜〜やはり彼女レベルのアーティストになると、自分で着る服は自分で作るんだと、感動。もっと洋服はあるらしいが、NY, Brooklyn Museumに展示のため貸出中、いいんです、ミュージアムで見るより、実際彼女の家、クローゼットにあるリアルな姿で見れたことに意味がある。
アトリエからの眺め。素晴らしい。言葉を失う、、、。ドライブしてきたこの道、絵のモチーフにもなってる`エスパニョーラハイウェイ`この道沿いにはまだメキシコだった頃のいろんなスパニッシュカルチャーが残ってる。
そして、念願のザグアン!
予想通り!多すぎず少なすぎない、光の具合が最高!唯一、撮影OKの室内!夏の午前中の自然光がアドーべの色を優しく映し出す。
そしてオアハカの陶器`Barro Verde ` 今でもオアハカでは日常的に使われてる物で主に水瓶として使われてます。乾燥した大地に水は大切、そんなオキーフさんのセンスにやられっぱなし。。。拾ってきた石とスカルによく馴染んでる。実際、晩年の彼女は積極的に海外旅行に出かけ、初めて訪れた海外がお隣メキシコシティ、そこでディエゴリベラやフリーダカーロと出会い、交流を持ち、オアハカにも出かけてる。キッチンにはオアハカの陶器やカゴがたくさんあった。
中庭も素晴らしい。単焦点のレンズが自然光の良さを引き立ててくれる。
ガーデン。ここは今でも地元の学生たちによって、植物が栽培されてる。背後にあるカメラが24時間、ここの模様を映し出して、オキーフミュージアムやHPで見ることができる。ガイドの話では、62歳でニューメキシコに移住したオキーフさん、1940年にゴーストランチの家を手に入れ、1946年にここアビキューの家を手に入れた。アビキューの家はほぼ廃墟同然、長い年月をかけて、当時建てられた姿に修復した。晩年はほぼアビキューの家で過ごし、70年代のメルセデスを運転し、唯一水路を作ったこの庭で、植物を栽培し、ほぼ自給自足の生活を送ってたとか。その話を聞いて、一緒にツアーに参加してた人が一言`What a busy Woman !` わかります、その気持ち。
98歳の生涯を生き抜いたオキーフさん、個人的に、晩年のオキーフさんの生き方が好き、質素な中に贅沢なセンスを感じる。ほんと、ここに来れて良かった。肌で感じ、目で見抜けた。ツアーに参加して良かったです。
10代20代は何も考えず、ただ欲求の赴くままに生きててもいいと思う。30代になるとそうもいかない、家族も増える。40代は50〜60代の準備をしていかないと、オキーフさんみたいにアグレッシブな人生を送れない。安定もいいが、いくつになってもチャレンジする気持ちを忘れてはいけない、現状に満足しててはいけない、そう感じさせてくれた、素晴らしい空間でした。