1950年代以降、アイデアが持ち込まれ、自分たちで独自に進化させたデザイン。
近代オアハカラグにとって転機といえる年、1948年、パンアメリカンハイウェイの開通により外部からたくさんの人が訪れ、オアハカラグの素晴らしさが伝わっていくと同時にいろんなデザインやアイデアが持ち込まれました。
Dos Cruz ダブルクロス、Dos Cadena ダブルチェイン
もともとディアマンテで織られてたデザインをよりシンプルに、ソフティスケイト、(Sophisticate) 洗練したクロス&チェインデザイン。シンプルなデザインなので色のセンスが問われます。ベストに仕立てたときの安定感は抜群です。
Teo Zapoteco テオ サポテコ
写真右デザインがトラディショナルでオリジナルな物、左はより洗練させたデザイン。柔らかな色使い、織り手のセンスが光りますね。
1930年代頃、薄手のサラッペ(コットンで織った織物、主に衣類として使用、写真3枚目)、後機で織り幅50cmほど、2枚で1枚としてデザインされてた物で、1970年代頃、おそらく外部からのアイデアにより、ラグのデザインとして復活したものです。
こちらもEstrella de Oaxaca同様、1970年代頃にラグのデザインとして使われたものです。SolもEstrellaも自然のモチーフ、衣類としてデザインされてたものをラグに落とし込む、そういうアイデアはやはり`外`からですね。シンプルで洗練された力強さがあります。
伝統的な文化を持ち、デザインする力もある、1960年代にバスケスさんがリーダー的存在になり伝統的なデザインを浸透させ、70年代には外からきた人たちにより、いっそうシンプルに洗練されたデザインになっていく、まさに`Traditional style exists for cause of creation` (伝統は創造のためにある)伝統的なデザインをふまえた上で洗練させていくのはやはり`内`にいる人だけでは難しく`外`からのinfluence、影響が必要だと思います。
しかし、成功だけではないです。工業化の波も押し寄せ、外からきたバイヤーに安く早く簡単に作る事を求められ、持ち込まれたデザインやアイデアを言われるがままに、コスト重視で織り、お土産品にとどまった織り手も多数います。安全で確実、織る技術さえあれば収入を得る事が出来る、大半の織り手はその方を選んだのだと、現在ティオティトラン村の状況を見てると(他の村と比べ、繁栄はしてるのですがオリジナリティとクリエイティビティを感じるのはほんの数家族のみ)そう思います。
もし、1948年、パンアメリカンハイウェイが開通してなかったら、開通してたとしてもティオティトラン村から離れてたら、外の人たちには知られる事が少なく、アイデアが持ち込まれる事も無い、ここまで進化する事はなかったと思います。時代の出来事とリーダー的人間の存在、偶然と必然が重なり合った、奇跡的な結果といえます。