2011年3月11日、東日本大震災が起こります。1923年、関東大震災によって京都に移住した柳 宗悦が出会った濱田庄司、河井寛次郎と共にはじめた民芸運動。同じく震災によって、壊滅的ダメージを受けた東北地方の復興支援もあり、日本の手仕事`民芸`に注目が集まるのです。
2010年代前半は食品偽装、異物混入、中国からの危険食材など、食べることに対して不安が多く、より安全な食べ物を追求、国産食品に重要性がおかれました。そうなると、食べること=生きること、シンプルな食事、食材をおいしく食べるには、そう、器にもこだわりたい、カリフォルニア州サンフランシスコやオレゴン州ポートランドからのサードウェーブコーヒーカルチャーやオーガニックな食品など、世界的に食の安全が問われた頃、日本の伝統的なクラフトが注目されるのも自然な流れです。もともと、日本人は`道`の精神で生きてきた民族、名人や職人の世界、世界的に見ても、こんなに民度の高い民族はそういません。
日本の市場は海外から入ってくるものに対して寛容的、2000年代はファッションでいえば、日本製の時代。90年代、アメリカのビンテージデニムやミリタリーものが世界一揃ってた日本、上質なものを見て、触れて、買って、自分のものにしてきた人たちが作り出すMADE IN JAPANの洋服たち、2009年頃から、JAPAN DENIMを筆頭に世界に浸透していきます。
同じく、日本の市場にはインポートファッションと言えど、仕掛けたり、作ったりしてるのは日本人、、 良くも悪くも、日本の市場では、品質基準やサイズ感など、ユニクロが底上げしてくれたおかげ?!で、純粋なインポートは売れにくい、、日本の市場に合わせた輸入品がほとんどになりました。特に、スニーカーは日本にしかないモデルが多く、海外の友人から羨ましがられたりしました。90年代はフットロッカー別注など、アメリカにしかないスニーカーを血眼(ちまなこ、、90年代よく使われてた言葉ですね)になって探してたのに、時代が逆転した感じがします。
海外から入ってきたものや新しいものには敏感な日本人、ですが熱しやすく冷めやすいといわれ、根付かないとよくいわれてましたが、ここ5〜6年で変わったような気がします。そもそも、熱しなくなった?! 市場が成熟したのもありますが、スマホやネット、SNSの普及で情報伝達スピードが数倍になり、大きな流行が生まれにくくなった、その分、個人のアイディンティティがしっかりしてきて、ものを選ぶ基準や買い物の基準がしっかりしてきたと思います。良くも悪くも、スマホやSNSの登場で、個人個人の趣味嗜好が細分化し、ビジネスをしにくくなった反面、クラフト作家さんなど、個人が発信できる時代、個人にスポットが当てられるようになり、陶器市やイベントなどで直接作家さんから買うスタイル、窯元を直接訪れるスタイルになっていきました。一昔前だと、知りたくてもわからない情報が、ネットやSNSの普及により、すぐ情報がわかるようになったのもあります。
自分自身、やってることは自分で始めた20年前から、ほぼ変わらないのですが、2009年ぐらいから、洋服以外のものに目が向くようになりましたね。アメリカとメキシコのインポート商品が中心なので、出張に行った際、メキシコのクラフトに目が行くようになり、洋服もクラフト感のある服が作りたくなり、オアハカラグベストが誕生したのもちょうど2009年です。
初めて沖縄の陶器市に行ったのも2009年、初めてまさしやのラーメン食べたのも2009年、自分にとっても転機だったのでしょうね。アメリカの車に59、69、99、09年と名車が多いのも何か共通してるのか?!
インディアンジュエリーも究極のクラフト品、民族のアイディンティティを感じる品々、日本人のDNAに響く何かがあるのでしょう。
カジュアルファッションの根底にはアメリカがあります。日本の市場は基本がしっかりしてるから応用も利く、どんなものが入ってきても柔軟に受け入れ、自分たちのものにする、日本人が作るカジュアルファッションが世界の市場に受け入れられるのも自然な流れなのだと。
インテリアや雑貨にしても、日本の市場の根底にはアメリカ、ミッドセンチュリーがある、本場カリフォルニアのミッドセンチュリーも北欧のものが多数取り入れられてたり、メキシコや日本のクラフトもたくさんある。ようは何でもいいものは受け入れる、器の大きさがあるんでしょうね。
自分にとって、子供ができたのもクラフトに目が行った原因のひとつ、漫画、美味しんぼで海原雄山が息子、山岡さんが生まれた際、プラスチックの食器なんぞで食べさせてたら美的感覚が育たない、陶芸家でもある海原雄山自ら、子供のために器を焼き、使わせてたというエピソードに感動し、自分も子供ができたら、ちゃんとした食器を使わせようと思いました。沖縄の小さめマカイは子供の茶碗として最適です。
また、小さいころ、家にあったものって、なんとなく覚えてるものですよね。うちにも、いろいろ、集めたものが無造作に置いてます。そんなものに囲まれて成長して、将来、何かのきっかけで思い出して、聞いてくれれば、親として嬉しいかなと。
2013年ぐらいからかな、ビームス フェニカでのオアハカラグ&ベストのオーダー会、会を重ねるごとに数字的にも伸びてきて、手応えを感じるようになり、2014年、9月に熊谷さんと知り合い、10月にはWIND AND SEAで接客させてもらい、2015年、7月、郷古さんと取り組んだウッドカービングが入荷即完売になり、9月、益子でのイベントでトークショーに飛び入り参加させて頂いたり、ジワジワ引き合いが強くなり、吉祥寺のSEEK AND FINDやネペンテス東京、大阪とPOP UP SHOP開催して頂いたり、そして11月28日、CPCMのオープンで決定的に`クラフト元年`と、自分の中で何か一つの大きな目標ができたのが2015年ですね。
あと、この特集も影響ありましたね。2015年3月号 CASA BRUTUS 世界の民芸とスタイルのあるインテリア
やっぱ`服`が好きで始めた商売、洋服屋であることは間違い無いのですが、洋服だけに特化するのはもう自分自身のモチベーションだと難しくなってきました。今後は`クラフト`という大きなテーマを掲げ、クラフト感のある服を中心に、カスタム(元々ある軍ものやユニフォームに何か手を入れる)やリメイク(元々あるものを作り直す)、ラグを使った服、濱田庄司さんが集めてたウッドカービングを甦らす、上質なメキシコやアメリカのクラフトたち、などを商品として紹介、日本の民芸やその他のものは、自分で仕入れして販売するには体力=財力がないので、リサーチした結果などをSNSやこのホームページ、ブログなどで紹介`お客さんを楽しませる`顧客満足をモットーに精進したいと思います。
やはり、買うことはクリエイティブだと思います。見るだけでは自分のものにならない、買って所有して、ものについていろいろ調べて、初めて自分のものになるのだと。ものについて調べる際、うちのホームページやブログが引っかかってくれば、こんなに嬉しいことは無いです。
2016年も引き続きよろしくおねがいします。