2015年11月、大好きな、大先輩、酒井さんが永眠されました。
正直、未だに受け入れられない、信じられない自分がいます。おそらく、このブログをご覧の方にも、酒井さんをご存知、現実を受け入れられない方が多いと思います。
亡くなられる三日前、祐天寺で一緒に飲んでて、年末の藤八会(中目黒の藤八で、業界の垣根、世代を越えて、集まり、業界全体が良くなるように願う飲み会)どうしようか〜なんて話をしてました。いつもの酒井さんであり、いつもの日常でした。
酒井さんを初めて知ったのは1990年2月号のCHECKMATEでした。
10代後半、ファッションに目覚め、アメリカ物の洗礼を受けてた頃、MADE IN U.S.A大図鑑というタイトルで発売された号、アメカジブランドや東京、大阪の主要店と神戸高架下&上野アメ横のお店紹介など、穴があくほど読み入って、今でも大事にとってある、まさに青春の一冊なのです。そこに出てた酒井さん`ビームスにはこんな人がいるんだー`と、若かりし頃、印象深かったのを今でも覚えてます。
そして、UAがカジュアルをスタートさせ、アメリカ西海岸での仕事依頼を商社経由で受け、出張に同行した酒井さんと初めて出会うわけです。当時、商社の担当だった方が今のUA社長というのも、何か運命的な出会いだったのかもしれません。
東京にオフィスを構えてから、定期的に飲みに行ったりする仲になり、周りの同世代のみんながお店からオフィスに異動になるなか、酒井さんはプレスに行かれた時期もありましたが、最終的に原宿店の顔になられました。
Blue label原宿店、現Beauty & Youth原宿店、UAメンズカジュアルは全てここから始まったと言っても過言ではない、改装して2階ができて、より一層コアな品揃えになり、2階の顔が酒井さんでした。
やっぱり、お店に兄貴のように慕う先輩がいると、ついつい立ち寄りたくなります。そして、買い物もします。どうせ買うなら、気に入った店、取引のある店と決めてるので、滅多にふらっと入った店で買うことはないです。気に入ればお店に通い、なおかつ、気に入った人から買いたいので、酒井さんの休みの日を避けて、原宿界隈で商談を入れたりしてましたね。
クロージングの方だと年配のスタッフがいる店がありますが、なかなかカジュアルのお店だと難しい、特にUAの規模になると、どんどん若い社員が入ってくる、けど、自分みたいに普段スーツを着ない、ほぼ1年中カジュアルな人間には、カジュアルな店で先輩、兄貴分的な人がいるところで買い物したいんです。若いスタッフがダメっていうわけじゃなくて、なんか自分よりも知識や経験のある人から買いたいのです。わがままな客なのです。
酒井さんはまさにそういう人でした。お店にいるだけで空気が引き締まるというか、原宿の2階には酒井さんがいるという安心感というか、おそらく、この意見に賛同される方は多いとおもいます。
そして、飲みの席では後輩たちに優しく、楽しく、時に厳しく、尊敬する人生の先輩でした。
そんな酒井さんがいなくなるなんて、考えられないですが、現実なのです。
寂しく、悲しい気持ちの方が大きいですが、あえて`ありがとうございました`と言いたい、そんな気持ちで綴りました。